プチ家出とオカン

なぜかオカンの記事がバズります。

山本です。

 

さて今日もみんなが大好き僕の母親ですが

あれは忘れもしない高校3年の時のこと。

 

僕は家出をした

 

その小話を少しだけ。

 

僕はだらだらとした生活を送っていた

バイト以外には特に何もしていなかった

音楽をしていたがさほど上手くもなく

これといった特技がなかった

 

そんな僕をきっと不安に思っていたでしょう。

 

当時、いつも一緒にいた友達がいたんですが

この子の父親が自衛隊のお偉いさんだったんですね。

過去には陸軍総長?とかにもなっていたらしく。

 

まぁ僕はその子の親父が苦手だった。

いや、苦手というより怖かった

裏で鬼軍曹と呼んでいたことは今も内緒だ。

 

僕は鬼軍曹に

 

「今日ご飯食べていけ」

 

と言われるのが罰ゲームに感じていた。

僕は鬼軍曹の前で正座を崩したことがない。

それくらい怖かった。

 

その鬼軍曹も当時は採用担当に配属になっていたらしく。

とりあえず受けるだけでもいいから受けてほしいと言われた。

 

僕には選択肢はなかった。

 

「受けるよな?」

 

明らかにこう聞こえたのだ。

 

そして”受けるだけ”受けることを親にも伝えた。

無論、僕は自衛官になる気はなかった。

そんな根性がなかった。

 

そして試験は終わり、僕は受かった。

 

そう、ここからだ。

僕とオカンの戦いが始まったのは。。

 

母親に受かったことを伝えるや否や

 

「絶対に行きよ!!

 あんたに選択肢なんか無いで!」

 

こちらも鬼軍曹同様、選択肢は無かった

 

でも僕は断り続けた。

それでも顔を合わすたびに圧をかけてくる親に嫌気がさし

 

僕は家出した。

 

家出したといっても1週間だけ。

行く当てもなかった僕は

隣の村の公民館の裏で寝泊まりをした

 

そう。初めての野宿だった。

 

あいにく夏だったので夜は涼しくてちょうどよかった。

まだまだ子供だった僕は、

出ていけば折れてくれるだろうと思っていたのだ。

 

しかし2.3日無断で帰らないなんてことはざらにあった。

4日.5日。どんどん日は過ぎていくが

オカンからの連絡はない。

 

かなりの持久戦となってしまった。

 

そして7日目で財布の底が付き、僕は帰った

きっと怒られるだろうな。と思っていた

 

僕は開口一番に謝った。

 

「ごめん!!!何日も帰らなくて」

 

簡単に許してもらえるとは思っていなかった

そんなオカンの口から出た言葉は

 

「ん?おらんかったん?」

 

気づいてねぇのかよ!!!

1週間息子がいなかったんだぞ!!

まだ高校生だぞ!!

 

うちは完全に放任主義だったので、

全くもって気づいていなかったんですね。

 

さすがです。オカン。。

 

そういえば昔言われていた。

 

「うちは放任主義やから、あんたの好きなようにしたらええ

 その代わり何があっても自分で何とかしなさい」

 

もはや名言だ。

でもこれを言われたのは小5だった。

 

まだわからんよ小学生には。

 

 

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